虹色の部屋で遊んだという思い出を
話してくれた少女と別れを告げブライト
ン到着。老婆にお金をあげた所を見てい
たのか、大男が目の前に現れて言った。
作家志望、24歳、ロンドン2ヶ月目
今回は続きものなので、13話を先に読むことをオススメします。
第13話「ブライトン旅程で少女と出会う。一瞬で消える虹色の部屋」
ブライトンに到着。
路地に入ると、そこには老婆が手を合わせて座っていた。
目の前には紙コップが置いてある。
砂吹は、ポケットから小銭を取り出すと、2ポンド老婆に手渡した。 老婆は丁寧にお礼を言った。
「意外か」
「まだ何も言ってないけど」
「おれだって全員に入れるわけじゃない。年寄りだけだ」
宝くじに当たっていることとは、関係ない。
暗に、そう言いたいのかもしれない。
短い付き合いだけど、それくらいは分かる。
「そもそも、若いのにただ座ってコップを置いて待ってるだけの奴は、納得がいかない。別に働けとは言わない。働けるかは分からないからだ。しかし、膝を抱えて下を向いているだけの奴に、どんな理由と共感があれば金を入れるんだ。それに引き替え、あの老婆はずっと手を合わせて、一人一人にお願いをしていた。更に2回も礼を言った」
そうだね、とわたしは言った。
「人間、何かしらの能力を金に変えて生きている。技術、体力、社交性、時にはそれは、丁寧にお願いすることかもしれない。神様ってのが本当にいるんなら、金に変える能力を、一人ひとつくらい与えているもんだ」
その時、私たちの背後から突然、背の高い男が声をかけてきた。
細身だが、190cmほどあるだろうか。
灰色のトレーナーは汚れている。
使い古されたキャップを目深にかぶっているせいで、目元は黒くつぶれている。
「金をくれ。少しでいい」
砂吹がゆっくりとわたしの方に向き直る。
が、ぎこちない。
油の足りないロボットが、ぎぎぎぎ、と動いているようだ。
「こいつは、金を脅し取る能力を与えられたらしい」
格好つけてはいるが、内股になっている。
男はそれから慌てたように、しかし丁寧に、自分の置かれている状況を説明した。
「頼む。必ず返す。£10でいい。それがダメなら洗剤を買ってくれ」
「洗剤?」
「ほらみろ。こいつは、洗剤を金に変えることができるんじゃないのか」
おまえはマジシャンかと英語できいてみろ、と言っている砂吹を無視して「どうして洗剤が必要なの」とたずねる。
「とにかく、洗剤がいる。大量にだ。おれは、全財産入った金の袋を落としてしまったんだ。たいした額じゃないが、文字通り£1もない。頼む。洗剤と、あとできでば……」
できれば欲しい、と言ったその後の物が、アルコールだとかグリセリンだとか、よく聞き取れなかった。
メモを渡してスペルを書いてもらったが、それでもこれが何なのかはすぐには分からなかった。
「いいじゃない。洗剤なんて安いもん」
「いやだね、こいつは年寄りじゃない」
「こんなにお願いしてるのに? さっきの老婆と何がちがうのよ」
「いやなもんはいやだ! 助けたいならお前がやれ」
ここまでくると、もうどうにもならない。
土地勘のない場所で洗剤などを買うのは大変そうだと思い、言われるがまま£10渡した。
男は何度もお礼を言った。
「金は必ず返す。今日の午後3時に、この場所へ来てくれ」
男はその場で書いたメモを渡し、そして立ち去った。
「グリセリン、糊、PVA だってさ。何に使うんだろ」
「何の話だ」
「さっきの人が、できれば欲しいって言っていた物。薬品か何かかな」
砂吹は携帯画面に示されたそれらの材料を見て、にやりと笑った。
「こいつはきっと、毒薬の作り方だな」
「なんでまた」
「PVAだぞ? ポイズン、バイオレンス、アクションだ。きっとそのメモの場所に行くと、新たな仲間が待っていて、身ぐるみはがされるにちがいない。£10で済んだと思って、これ以上首を突っ込むな」
アクションってなんだよ、と呆れる。
悪い人には見えなかったが、なぜ彼は洗剤が必要だったのだろう。
そして、なぜ焦っていたのだろう。
PVAをよく調べてみると、ポリビニルアルコールのことだった。
洗濯のりに良く使われるらしい。
洗剤と洗濯のり?
クリーニング屋さん?
あんな汚い格好で?
謎は深まるばかりだった。