バルト三国の最南端、リトアニアの意外
な素顔。前情報は大事だが、できればあま
り先入観なしで旅したい。どんな風景や街
並でも、自分の肌で感じることがたいせつ。
カメラマン、32歳、イギリス3ヶ月目
僕たちは夜23時半、リトアニア、ヴィリニュス国際空港(Vilinus Airport)に到着した。
「ちょっと、これ知ってた? リトアニア、世界で一番自殺率が多くて、EU圏での殺人事件の発生率は世界一だって」
三井が空港ですぐにWifiを繋ぎ、画面を砂吹に見せている。
「へえ、なんでだろうなあ。美女が多いからかなあ。楽しみだなあ」
えへへへ、と品のない砂吹の笑い声を聞いて、三井が肩を落とす。
「なんだか急に恐くなってきた」
「よーし、良いことを思いついた。今日はもう遅いし、ドッキリ肝試し空港泊をしようじゃないか」
「イヤ、こんな人けのない小さい空港に。そもそも宿取ってあるんだから」
どうやらこの時間は市内までタクシーを使うしかないらしい。
空港泊は可能のようだ。
朝5時半まで待てば電車が始まり、1ユーロ以下で市内まで行けるし、5kmと近いため、中には歩く猛者もいる。
タクシーでも20ユーロほどらしいので、僕らはタクシーを選んだ。
タクシーの運転手は、信号の少ない道を、高速道路かと思うほどのスピードで駆け抜ける。
「おまえは空港からずっと携帯ばっか見てんな」砂吹が助手席の三井に向かって声を上げる。
「一応、地図で確認してるの。リトアニアはそんなにぼったくられることはないらしいけど、変に遠回りとかしてないか、念のため」
「そうか、金のためならいい!」といって砂吹は黙る。
人の金なのに、そこまで最善を尽くす姿勢は素晴らしいな、と僕は思ってしまう。
今回の旅費は、スポンサーである砂吹が全部持ってくれることになっている。
運転手が何かしら三井に早口で話し、その申し出を三井は丁寧に断った。
砂吹が支払いをして、僕らは車を降りた。
「おまえすごいな、リトアニア語も話せるのか」
英語だったよ、 と三井が呆れている。
「何て言ってたんですか? とても早口で、僕も聞き取れなかった」
「なんかね、そこのトンネルが一方通行だから、大回りして反対側から侵入するって言うから、もう降りるって言ったの」
「なんで断ったんだよ。前まで行ってもらえばいいだろ」
「だって、もう見えてるんだもん、あそこに」
たった10mほどのトンネルを抜けると、宿があった。
「おまえ、意外と、役に立つのな」
「ほめたいなら、ちゃんとほめなさいよね」
明日は日曜だったので、早起きして教会に行くことにした。僕らはシャワーだけ浴びてすぐにベッドに入った。
−−−−−
ロンドンよりも厚い雲が立ちこめている。
朝だが、なぜか不穏な空気を感じる。
人々は花を買い、教会の前に列を作る。
会話は皆無、みな寒さに耐えるように下を向いている。
これもあの、カラーバス効果だな、と思った。
意識したがために、その情報を積極的に脳が読み取っているだけだ。
昨日三井が、自殺や殺人が多いだなんて物騒な話をしたから、そうやって目に写るだけなんだ。
何も知らなきゃ、天気悪いな今日、みんな静かで真面目に並ぶんだな、となっている、はずだ。
1ユーロでこんな立派な花が買えた。
日曜だからか、人はまばらで
歩けば歩くほど、観光地ということに疑問が沸いてくる。
良く言えば、人々の生活感があるということかもしれないけれど。
「朝も食ってないし、とりあえず何か食うか」
砂吹の言葉で、三井が少しだけ元気を取り戻した。
バルト三国は、ヨーロッパとしては物価も安く、ご飯が美味しいらしい。
訪れたのはこのお店。砂吹が窓を指さして、地元のやつがいるから美味いだろうと言った。
木の実や果物が入ったティー。見た目はいい。しかし不思議な味がする。
スープがお洒落パンに入っている。
酸味のあるパン。底を削るとスープの味が変わる〜と三井が嬉しそうに声を上げたが、
酸っぱくなるので、僕はそのままのスープが好きだ。
なぜ女性は酸っぱいものが好きなのだろう。そして何故一口も食べることなくラーメンにお酢を入れてしまうのだろう。
白身魚だ。
「美味しかったあ、特にスープ」
三井が幸せそうな顔をしている。
この世は女性が満腹だと平和になると、誰かが言っていた。
いま彼女はまさに、平和の象徴といえる表情だ。
Etno Dvaras
Pilies g. 16, Vilnius 01123 リトアニア
僕らは砂吹にごちそうさまと告げ、また町を回り始めた。
つっこむところが多過ぎなのだけど、個人的にこの写真は好きだった。
色々な国の言葉で、憲法のようなものが書かれている。
日本語はなかった。
人の気配は相変わらず少ない。
ロンドンのパブような活気は全くないが、静かでいい。
黒ビールで乾杯をした。
「おい、美女どころか、人がいないぞ」
砂吹がビールを片手に不満げに言う。
「日曜で、寒かったからですかね、みんな家に引きこもってたんですかね」
やっとネットが繋がったと三井が言う。
「ちょっと待って。今調べてみたんだけど」
三井が眉間に皺を寄せる。
「なんか、今日みんなで主に回ったところは、ウジュピス共和国ってところみたい」
「え? リトアニアじゃないの?」
「いや、共和国といっても、正式な国家としては認められてはいなくて。でも、旧市街から、あの南京錠の川を渡った反対側が、そのウジュピスなんだって。4月1日が独立記念日」
「エイプリルフールじゃん」
だから、色々な国の言葉で憲法があったんだ。
「ネットの記事によると、ウジュピスは川の向こうという意味。16世紀に橋が架けられるまでは、旧市街とは隔絶されていて、街の発展からは置き去りにされていた」
「だからか。雰囲気ががらっとちがったのは」
「でも、ソ連支配時代の後期から、そんな独特な雰囲気を好む芸術家や若者が住むようになり、パリのモルマントルのような芸術家村が形成された」
パリ行ったことないから全然分かんねえけど、と砂吹が早くも最初のビールを飲み干す。
「アウトローな雰囲気を漂わせる人もいて、こぎれいな旧市街とはちがった、独特で幻想的な空気を味わえるって」
「ものは言いようだな」
「ちがうわよ、私たちが勉強不足だったんじゃない。自殺率のことも、データは本当だけど、東ヨーロッパ全体の自殺率が高いみたい。原因は、経済格差と、アルコールが関係してるみたい」
「経済格差は分かりますけど、アルコールですか」
僕が訊ねると、砂吹があれだろ、あれ、と少し赤くなった顔で言う。
「テキーラ飲んで温かくなった体で外に出たら、凍死しちまうってやつだろ」
合ってるけどちょっとちがう、と三井が呟く。
「寒い国の人々は体を温めるためにお酒を飲むから、アルコール消費量が世界でもトップクラスなの。それで、アルコール中毒が原因で、失業、家庭内暴力、性的暴行などの犯罪も多い。経済が苦しくて、お酒で体を壊して自殺をしてしまう人が多いんだって。ちなみに、日本は13位。事故死よりも自殺が多い国は、世界で日本だけ。15〜39歳の死因の第一は自殺。これだって、悲しい事実だよ」
でも、と言って、僕は自分が感じたままを話した。
「ほとんどその情報がなかったから、逆に目で見たものを自由に感じられたと思う。だって、ヴィリニュスのモルマントルかあ、なんて前情報通りの感覚で見たら、そうとしか写らないし、つまらないですよ」
「そうだね、明日晴れて、改めてこの街を見たら、まったくちがって写るかもだもんね」
なぜかビールとおつまみだけでお腹がいっぱいになり、その日は宿に帰った。
明日は明日の風が吹く。
これを英語で言うと、Tomorrow is another day. となる。
しかし、これではなんだか物足りない。
言いたいことは、なんかこう、もっと……
僕らがどこに一縷の望みを感じているのかはまったく分からなくて
それでも今すこし幸せな気分なのは、お酒を飲んだせいかもしれないけれど
帰り道の旧市街は、とても綺麗に写った。