平穏な生活から一転、イギリスでの
奇妙な共同生活が始まった。1億持っ
た不躾で陰湿なこの男との出会いは、
今思い返してみてもキテレツだった。
作家志望、24歳、日本
「いいか、宝くじが当たったとき、一般庶民どもが換金前にまずどんな行動をとるか教えてやろう。
まずなけなしの金で、何十万もする耐火金庫を買ってくるんだ。
その当たりくじを、死守するためだ。
そして次に、家の鍵を変える。セキュリティに走る。
その時点で、当たりましたと近所に言っているようなものなんだ。
公にするつもりなら構わないがな。
でも、金庫を買ってくる奴は、すぐに引き換える奴よりも、まだ少し冷静だ。
ちゃんと計画を立てるつもりがあるんだ。金の、使い道について。
金庫なんて買わずにすぐに換金した方がいい、という考えは愚の骨頂だ。
1億が当たった、というのと、
今、自分の口座に1億ある、というのは、似ているようで全然ちがう。
受け取る前にするべきこと、調べるべきことがたくさんある。
たとえば、宝くじが非課税なのは有名な話だが、贈与税と相続税に関しては別の話だ。
もし子どもがいるなら、くじを子どもと共同購入ということにできる。
子どもにも、当選証明書が発行され、金をあらかじめ分配できる。
これをしないと、自分が死んだ時に、最高税率で55%、つまりおれの場合、5500万円を相続税で持っていかれる可能性がある」
この鼻につく男、砂吹諒(すなふき りょう)とこのとカフェで会うのは2回目だった。
相変わらず一方的にまくしたてて、質問する隙を与えない。
今日も、嫌みなほど白いシャツを着ている。
年下に見えるのに、この態度はいったい……
砂吹と初めて会ったのは、ちょうど一週間前。
私は深夜のコンビニで、その日も働いていた。
最寄り駅から離れた場所に位置するそのコンビニは、終電が終わり、その最後の客が流れてくる時間帯を過ぎると、客足はほとんどなくなる。
わたしはレジで、月末締め切りの新人賞の推敲をしていた。
一度書き上げた原稿を何度も読み返して、精度を高めていく作業だ。誤字脱字も見つけては、この段階で直していく。
「なにそれ、小説?」
細身で色白の男が、缶コーヒーを片手に立っていた。
「あ、すみません、気が付かなくて」
店内に人はいないはずだった。ドアベル鳴ったっけ、と思いながら、原稿を脇へ寄せて、バーコードをスキャンする。
「なにそれ、小説?」 おれ訊いてんだけど、という抗議を冷静に含んでいるのか、男は先程と同じ言葉を、同じトーンで繰り返した。
深夜のこの時間帯に、ぱりっと糊の利いた白いシャツを着ているせいなのか、どこか現実味がない。
「まあ、そんなところです」
「もう長くやってるの? 次の締め切りはいつ? どんなジャンル?」
面倒なので最後の質問だけ答える。
「今回は、ファンタジーです」
今回は? ファンタジーしか書けないじゃないか。
「へえ、それなら今月末のファンタジア大賞か。何年投稿してるの?」
「今年で5年目、5回目です」
「5回目かあ、じゃあセンスないんだね。見せてよ」
自然なその口調に、いやですよ、と普通に会話を続けそうになる。
「え、今なんて?」
「見せてよ」
「その前よ」
「ああ、センスないんだね」
「は?」
「だってそうじゃん。5年もやってるんでしょ?」
「あのね、小説家ってのは」
男は、こちらを見て微笑んだ。
よく見ると、整った顔立ちだった。短く切られた黒髪は本来なら爽やかな印象を与えるはずだし、鼻筋も通っている。
しかし、次の瞬間、口角の上がったその唇からは、信じ難い言葉が放たれた。
「驚くべきは5年で5回の投稿だということだ。君が趣味でやっているのならもちろん文句はない。ただ君が本当に小説家としてやっていきたのなら、1年で1本というのは筆が遅過ぎる。プロが3ヶ月に1本のペースで長編を書き上げているのを知らないのか。バイトをしながらという言い訳なら聞きたくない。なぜなら、プロの小説家でも小説だけで食べていけている人は全体の1割にも満たないからだ。皆、会社に勤めながら、コツコツと続けているんだ。君に小説のセンスがあるかは読んでみるまで分からないが、努力のセンスがないことは明白だ。だからおれが君にセンスがあるかどうかを判断してやると言っている。小説を貸したまえ、今すぐ」
あまりの罵詈雑言の数々に、少しの間あっけにとられた。
何かしら反論しなくてはと、やっとのことで口を開く。
「は、はあ? なんで見ず知らずのあんたにそこまで言われなきゃなんないの。あんたがわたしの何を知ってるって言うのよ」
「あんたがわたしの何を知ってるって言うのよ、という言葉の選び方でだいたい分かる。君は語彙や台詞回しが圧倒的に少ないし、何より想像力がない。たとえば、目の前にいる偉そうな男が、先程言った小説だけで食っている1割の人間かもしれない、ということは微塵も考えていない。そうだろう」
もう一度彼の顔をよく見る。見覚えはない。
だが小説家のほとんどが顔出ししていないこともまた事実だ。
「そうなんですか?」
「見せたまえ。朝は何時に終わるんだ?」
「9時ですけど」
「じゃあそこのカフェで待ち合わせしよう。朝食でもごちそうしよう」
あんな不躾な男が作家? まさか。
そう思ったはずなのだが、それは原稿を渡してしまった後だった。
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