Short Film 3「幸福度99.8%の国に行ってみたら、誕生日がなかった」

 

 

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Short Film 3

「幸福度99.8%の国に行ってみたら、誕生日がなかった」

 

 

 

− 母 −

 

3月。

私たちに、待望の子どもが生まれた。

女の子だ。エイミーと名付けた。

 

外国では、この世に生まれた日のことを誕生日、と呼ぶようだ。

12ヶ月ごとに人はひとつずつ、年齢というものを重ねていくらしい。

 

その文化が、私たちの国にはない。

なので、子どもはいつ生まれても、3月生まれだ。

 

 

1月。

私たちの住むこの国では、「毎月」というものは1〜9月の中でランダムにやってくる。

10、11、12月は存在しない。3月の次は1月だ。

 

エイミーは、いったん私の指を握ると離してくれない。

愛おしい。把握反射というらしい。

 

 

4月。

3ヶ月目。視力が少し発達してくる頃だ。

いったい、どんな世界が見えているのだろう。

パパと一緒に、正しい振る舞い、言葉遣いをするように心がけよう。

いくら小さいといえど、きっとすべて見ているのだから。

 

 

1月。

4ヶ月目。体重があっと言う間に2倍になった。

 

 

5月。

5ヶ月目は5月だった。

 

寝返りができるようになった。

これまでとはちがった注意が必要になってくるだろう。

 

 

9月。

そろそろ、離乳食を始めようと思っている。

市販のやつもあるが、できるだけ作ってあげたい。

 

 

2月。

小さな小さな、歯が生えてきた。

赤ちゃん用の歯ブラシを買ってきた。

 

 

−−−−−

 

 

8月。

エイミーが外国でいうところの、1歳、というものになった。

実は、ここまでは年齢を記憶している人も多い。

なぜなら皆、初めての8月で1歳になるのだ。

 

しかし、ここを境に、年齢を数えなくなる。

娘が物心つく頃には、誰も、娘が生まれてどのくらい経っているのかを覚えていない。

 

 

9月。

エイミーは9月。ちなみに私は今6月だ。

娘とはちがう月を生きている。主人は今5月らしい。

 

他人が今、何月を生きているか、基本的には把握していない。

しかし、役所から毎月「次は7月です」とメールが来るので、自分が今現在、何月なのかは把握することができる。

 

 

7月。

私は娘を連れて、バスですぐの海岸に行った。

同じくらいの子どもをもつ母親たちに挨拶をする。

子ども達から目を離さないように、育児の話なんかをする。

今日聞いた話によると、幼少時代はなるべく靴を履かせずに、砂浜や森、アスファルトを直に歩かせると、天才になる可能性があるらしい。

 

 

都市伝説じみているとも思ったが、自然の感触を肌で感じることは良いことだと思う。

 

 

注意して歩かせれば、怪我もしないだろう。

そもそも、先進国は過保護過ぎるのだ。ガラスを踏めば足を切るかもしれないが、いったい何を踏めば命に関わるのか。

大事な一人娘だが、少しやんちゃくらいに育てたい。私は娘の靴を脱がせた。

エイミーのお気に入りのピンクのワンピースが、気持ち良さそうに風になびいている。

 

 

9月。

入学試験をパスして、小学校に入った。

入学試験といっても、むずかしいことは何もしない。

エイミーは、名前を呼ばれたら返事をして、好きな絵を描いて、お友達と仲良く遊んだ、と言っていた。

ちなみに、名前を呼ばれて返事をしなかった子も、入学しているらしい。

 

 

3月。

今日はエイミーがお友達を家にたくさん連れてきた。

娘は天才に育ったかどうかは分からないが、陽気で明るい子になった。

男の子、女の子、色々なお友達と分け隔てなく仲が良いような気がする。

今日来た男の子のうちの一人は、周りのお友達と比べても、背が30cm以上も高かった。口数が少なく、あまり笑わない子だ。

 

 

みんなが帰ってからその子について訊いてみると、エイミーはこんなことを言った。

 

 

「うん、あの子は、ちょっとマイペースなの。あんまり笑わないけど、でもね、いっつも私の話をちゃんと聞いてくれるの。それに優しいんだよ。この前、給食の時間に、突然教室を出ていっちゃって。先生は、すぐ戻ってくるから大丈夫って言ったんだけどね。気になって、トイレに行くふりをして、後をついてったの。そしたらね、給食に入ってたてんとう虫を、そっと逃がしてあげてたの」

 

 

エイミーは、「本当はその男の子のこと、ほめてあげれば良かったんだけど。そういう時、話かけられないんだあ」と口惜しそうに言った。

 

 

声をかけなくて正解だったんじゃないかな、と思った。

なぜなら、私も幼い頃、きっと同じようなタイプの子どもだったと思うからだ。

本当は嬉しいくせに、どうしても、くすぐったい気持ちになってしまって、反発した態度をとってしまう。そんな子どもだった。遊びに来た時に彼の様子を観察していて、なんとなく似ている気がする、と思ったのだ。

エイミーはそういう事を本能で察せるのだとしたら、なるほどこの子は天才かもしれない。

 

 

4月。

娘は中学試験に合格した。

定期テストを何度か受けると、小学校の担任から、中学試験に挑戦してみませんか、と提案を受ける。そして、見事合格すると、小学校はあっさり卒業できる。

毎月卒業者がいるので、その都度卒業式をしたり、涙を流したりはしない。

しかしそのおかげで、小学校、中学校と場所がちがっても、高い頻度で連絡をとったり、遊んだりしているようだ。

 

 

 

 

− 娘 −

 

2月。

わたしは、高校生になった。

本を読むのが好きだ。いつも屋上で読んでいる。

前は図書館で読んでいたのだが、元気の良い友達がいつも遊びに誘いに来て、他の人の読書を邪魔してしまうことがあった。

 

いつしか屋上で読むようになった。

ここならば騒いでも大丈夫だし、本に飽きたらみんなでボール遊びもできる。

 

 

7月。

最近はもっぱら海外の福祉の本を読んでいる。

 

 

外国には、障がい者、という言葉がある。

一定のルールに基づき、障がい者認定というのがあるらしい。

そして時々、障がい者だからと言って、自分の不幸の上に、胡座をかいてしまう人がいるようだ。

電車の席をゆずってもらって当然なのだ、私は片腕がないのだから、というように。

 

 

その人だって、好きで片腕を失くしたんじゃないことは、私にも分かっている。

でも、そういう態度は良くない気がする。

そもそも、障がい者、という言葉がそうたらしめているのではないだろうか。

 

 

わたしの国には、障がい者認定などはない。

ぱっと見て、困っている人は助ける。

助けられた人は、心からのお礼を言う。

実に、シンプルだ。

 

 

「腕がない」というのはとても不自由な事だと思うが、この国では「気が強い」というのと同じくらいの個性として考えられている。

しかしこれもまた、世界からしたらマイノリティらしい。

 

 

8月。

文献を読んで知ったのだが、わたしたちの国はすこし特殊らしい。

幼い時から、色々な人がいる環境で育った。

他国の言葉を借りれば、年齢が異なる人たちが、同じクラスや環境にいたのだ。

そういえば、小学校の時はじめて好きになった人は、とても背が高かった。

 

 

物心ついた時からそうだったから、何の違和感もない。

小中高と、試験の出来で入学が決まったが、他国では小中は一定の期間在籍していれば卒業できるらしい。

わたしたちの国には、どれくらいの期間でこれだけの成果を出した、という類いの功績がない。

どんなに時間がかかっても、最終的にそこへ辿り着ければいいのだ。

 

 

目標も人それぞれ。だから、頑張っただけ報酬がもらえるが、闘争心は先進国ほどない。

大学に入ると、さらに色々な人がいる。

気の合いそうな子たちとつるむが、実際に年齢というものが分かったら、意外に年上だったり年下だったりするのだろう。

年齢を誰も把握していない。

誰も知らない情報を、気にしても意味がない。

 

 

3月。

国の幸福度が算出され、99.8%と、世界でトップに躍り出た。

他国からは、今を生きている国だとか揶揄されている。

今を生きずに、みんなはいつを生きているのだろう。

先のことを考えていないわけでは、ないんだけどな。

 

 

本によると、たとえば日本という国は、賢い人がトップに立って、先のことを考えている。考えているようで、結局自分のことしか考えていない。知識のない人は、将来を不安だ不安だといって、一生を終える。

 

 

いや、これは言い過ぎだろうか。

不快な気分にしたなら謝る。

 

 

−−これは日本という国の政治家の謝り方だ。

これを聞いたあなたは今、わたしを許す気になっただろうか。

 

 

 

− 父 −

 

6月。

エイミーは良い子に育った。

だが、正義感ゆえに、ときどき強気過ぎるところが玉に瑕(きず)だ。

 

 

人間は変わることができる。

三つ子の魂、百までということわざがあるが、私はそうは思わない。

なぜならばこの国には、三つ子や百という年齢を数えるシステムがないからだ。

ある日に、私はエイミーを食事に誘うことにした。

 

 

8月。

エイミーの好きなレストランを予約していた。

家族ではよく食事に行くが、妻は今日、友達と会うようだ。

久しぶりの、二人きりの食事。

人によっては父親と行動を共にするのを嫌がる子もいるようだが、エイミーはまったく気にしない。私にとっては、ありがたいことだ。

 

 

「エイミー。円周率を200桁言える人を、どう思う?」

好物のステーキを口に運びながら訊ねた。

「ふーん、って感じだね。目の前で言われても、果たしてそれが正解かどうかって、分からないし」

 

 

それと同じだ、と思う。

この国には、「若いのにすごいねえ」だとか、「いい年して何をしているんだ」というような言葉に意味を持たない。

長寿は素晴らしいことかもしれない。

しかし150歳まで生きたとしても、その人の人生が正しかったかどうかなど、本人しか分からない。

 

 

「事実、父さんは円周率を30桁まで言えたんだ。いや、正確には、言えると思っていた。ずいぶん長いこと、28桁目を間違えて覚えていたことに、最近になって気が付いた。得意になって人前で披露したが、誰もその間違いに気が付いていなかった」

やっぱりね、とエイミーは笑う。

「しかし、父さんは楽しかった。友達は、『すげーなそんなに覚えて』だとか、『ちょっと使いどころ分からないけど、頑張ったね』 と、みんな笑ってくれた」

間違っていても、楽しい人生もあるのだ。

 

 

「知っていたか。我が国のランダムにやってくる月。

人が生まれた最初の月は3月。次は1月。そして4月、1月、5月……。

これは実は、円周率になっている。

 

 

この事実を知っている人もたくさんいる。だが皆、円周率を覚えてまで、自分の年齢を把握しようとは思わない。

比べる相手が、自分の年齢を知らなきゃ意味がないもんな。

そもそもみんな、人間の価値が年齢をあまり左右しないことを知っている。

父さん今月9月だが、いったいどこの9月なのか、もはや調べても分からん。

 

 

でも、毎日が実に楽しい。

父さん、時々おまえの兄さんだと間違えられるだろ?

白髪染めこそしているが、ほら、髪の毛もどっさりある。

この前合コンに内緒で付いて行ったときは、誰も私のことを父親だとは思わなかった。

年齢という先入観のないこの世界では、努力次第で、どうとでもなるんだ」

ワインによる酔いもあいまって、饒舌になっていた。

 

 

「じゃあさ」と言ってエイミーは目を輝かせた。

「わたし、留学してみたい! この目で外の国を見てくるの」

 

 

ダメだ、まだ若過ぎる、などと言って引き留められる外国を、私はこの時、少しだけうらやましく思った。

こんなにも頑張っているエイミーを、止める理由が見つからない。

 

 

帰り道、エイミーは振り返って

「お父さん、育ててくれてありがとね」と言った。

誕生日は、親に感謝する日なのだ、と昔聞いたことがある。

しかし、エイミーは事あるごとに、妻に向かって「産んでくれてありがとう」などと言ったりする。

 

 

やはりこの国に、誕生日は必要ないのだ。

 

 

 

 

 

次回、蝉フィクションに戻ります。

リトアニアレストランまとめ。

 

オハナシハツヅク

 

 

 

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