日本でも尊厳死が認められるようになって、5年の月日が経過していた。
そして今年、S博士によってまた新たな制度が導入されることになった。
自分の命日を自分で決めることができる、自動尊厳死システムだ。
手続きとしては、まず役所に行き、あらかじめ希望の年月日を設定する。
するとその希望日に、病院で尊厳死を遂げる資格と、準備が自動的に与えられる。
あとは、自分で決めた命日の夜23:59までに病院に行くだけで、痛みもなく死ぬことができる。
Short Film 1 「自動尊厳死システム 寿命を75歳に設定しました」
尊厳死にかかる医療費はすべて無料で、更に一定額の葬儀費まで受け取ることができる。
その代わり、死亡時に使える臓器はすべて提供することになる。
自動尊厳死システムという名前にはなっているが、体裁上は、死亡時臓器提供の意思表示のオプションということになっている。
また、一度提出した命日は、変更することができない。
仮に、命日を迎えてもまだ健康で、もっと長生きがしたいと思っても、それ以上に生きることはできない。
これは、臓器提供を心待ちにしている人への配慮だ。
一見、メリットがあまりないように思われるこの制度だが、いざ施行されると、志願者が殺到した。
自ら命の期限をあえて決めることで、人生をより有意義にしようとする者が多く現れたのだ。
いつ死ぬか分からない人生よりも、寿命が分かっていることで、時間を無駄にせずに済むと人々は考えた。
また、高度の医療技術や延命治療のおかげで、お金をかければ人はいくらでも生きていくことができる。
だが、国民全員が裕福なわけではない。家族に負担がかかる。
寿命=健康寿命がベストと考えられ、人はいかに最期を迎えるかがずっと課題だったが、人々はこれが解決できると一縷の望みだと信じた。
プライバシーは役所によって完全に守られるている。
誰が申し込んだかどうかは本人しか知り得ない情報だ。
また、選挙権と同じく、18歳以上であれば、誰の許可も必要ない。自分の意思のみで申請できる。
当たり前だが、これを提出したところで、交通事故などの不慮の事故でもっと早く死ぬ可能性は多分にある。
命日までは何があっても生きられる、というわけではもちろんない。
志願者の多くは、S博士による人生についての考え方に同調した人々だ。
S博士は、テレビでこのように述べている。
「人生は割り算だ。 いつの時代も、成功者は常に残りの自分の人生を割り算をしてきた。 何年後に何をして、何歳で何を成し遂げ、いつまでにどこに辿り着くのか。 しかし一般人ができる計画といえば、せいぜい3泊4日の旅行くらいだ。 ならば、命の期限を自分で決めてしまえばいい」
ひと昔前までは、芸能人、著名人だけのものだったウィキペディアは、現在では自身で簡単に作成可能だ。
中学入学後、生徒が授業で最初に取り組むのは、自分のウィキペディアページを作ることだ。
未来予想図で構わない。
しかし、今まで実施されてきた「将来の夢」というテーマで作文を書かせることとは、大きく異なる。
それは、夢の詳細度だ。
生まれ、来歴、どの高校、大学へ進むのか、どんな会社に入社し、何歳で何を成し遂げるのか。
S博士は、28歳、34歳、40歳で何をするかが大切だと言っている。
そして最も重要なのが、死去する年月日と場所、死因も記入するのだ。
自分の名前、たとえば、砂吹諒(1996-2071)と書き込まれた途端に、生徒は違和感をおぼえ、そして思う。
人生って、意外と短いな。
システム施行が決まるや否や、PTAの間では、中学生に死を意識させるのは早過ぎるとの声が上がった。
そこでS博士は、そんな彼らを一同に集めて、2つのこんな質問をした。
・もしも若返ることができるのならば、いつがいいか。
・もし時間を戻せたら、何をしておくべきだったと思うか。
結果は以下のようになった。
もしも若返ることができるのならば、いつがいいか。
1位 中学生
2位 若返らなくていい
3位 高校生
もし時を戻せたら、何をしておくべきだったと思うか。
1位 勉強
2位 悔いはない
3位 旅行
このアンケート結果をもとに、S博士は、第1位になった、中学生の頃から、勉強なども含めた人生プランをしっかり立てるべきだ、という主張をするものだと、誰もが思っていた。
しかし彼はちがった。
彼が注目したのは、ともに第2位の回答だった。
「悔いがあったとしても、良い人生だったなと思えるのは、素晴らしいことだ。 だが、そのように考えることのできる人間は、この手のアンケートに素直に答えることができる。自分はやり残したことがある、と。 やり残しはしたが、それでも恥じない人生を送ってきたことを、他の誰でもない、自分が知っているからだ。 だが……」
S博士はゆっくりと息を吸い込んだ。
「ここで胸を張って、やり残したことなど何もないと抜かす連中は、愚かな見えっ張りだ。たしかに本当に悔いのない人もいるかもしれない。だが、大半の人間が自分の人生に満足しておらず、しかもそれを人に悟られないように、こそこそと生きてきた奴等だ。隙さえあれば、他人の足をも引っぱるだろう。そういう年寄りが寄ってたかって、モラルとかいう汚い盾をかざし、保守こそすべてと若者のチャンスを奪おうとしている。そんな愚鈍の意見を、私は決して許さない」
S博士は、人が変わったように声を荒げた。
「選挙権は18歳になり、更に15歳に引き下げるべきだという議論もされている昨今。若者が早くに大人になるべきだと言ってるんじゃない。ただ、彼らが望むのならば、中学生は、人生について真剣に考えてもいい年齢だ」
若い人々は、人生、自分の死について理解を深めることを望んだ。
S博士は毎年、入学式の日はできるだけ中学校をまわり、新一年生の前でこう言った。
「いいか。人生について考えている時間は、人生ではない。つまりこれから受ける最初の授業、ウィキペディア作成は、人生じゃないんだ。君らの人生は、次の1時間で考えた夢、目標に向かう途中の、平凡な毎日の中にある。登校、授業、給食、休み時間、部活。それこそが人生だ」
首を傾げる生徒も少なくなかった。
しかし、実際に作るかどうかは自由とされた自分のウィキペディアページを、ほぼ100%の生徒が嬉々として作った。
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しかし、最終的にこのシステムは思った以上の結果を残すことができず、30年の後に廃止されることになった。
臓器提供がスムーズになり、それらを待つ多くの患者が助かったのは事実だ。
だが肝心の、人々が人生を割り算して夢を叶える、という結果が、驚くほど芳しくなかった。
うまくいかなかった理由については様々な憶測が飛んだが、すでに老人となっていたS博士は、雑誌のインタビューで次のように答えた。
「命をかけて自分で決めた目標でさえも、達成できない奴等が多過ぎた。 考えてみればそうだ。 たとえば、私の死んだ女房。日曜日になると、早起きして、一日のスケジュールを楽しそうに立てていた。 しかしそのメモは、あとで見返すわけでもなく、結局スケジュール通りに進むことなど、そうなかった。立てるだけ立てて、それで満足していた」
しかし、鼻歌まじりに予定を立てていた妻の嬉しそうな顔を、S博士は忘れることができないという。
「かつて私は、人生について考えている時間は、人生ではないと言ってきた。 平凡な毎日の繰り返しの中にこそ、人生がある、と。
しかし、人生に悩んでいる時もまた、人生なのかもしれない。
システムなんて、いらなかったんだ。
変わりたい。
そう思い始めただけで、きっと昨日とはちがう人生なんだ」
インタビュアーを一瞥し、話は終わりだ、というように、S博士はゆっくりと立ち上がった。
「本当に割り算ができる奴は、システムなど利用せずともできるのだ。 私が命日を決めなかったようにな」
S博士は、最後の一言はカットしておいてくれよ、と両手でピースをつくり、ちょきちょき、とした。