美女が多い事で知られるバルト三国。
そしてラトビアは、男性の人口が極端
少ない。美女が有り余っている、チャ
ンスはあると砂吹が興奮している。
作家志望、24歳、イギリス3ヶ月目
「おい、なんでベッドだけのドミトリーなんだよ今回は」
砂吹が、旅行の計画全般を担当したわたしに抗議している。
「だって、浮いたお金で観光したり、美味しいもの食べた方がいいと思って」
「おまえ、あと金があといくら残ってると思ってるんだ。変なところケチるな。美女が多い国で男女混合ベッドなんて……」
意味ありげに一拍おく。
「最高じゃないか!」
はいはい、と受け流す。
それはもう熟練の合気道の選手のように。
「だからってラトビアの人は、ドミトリーなんて泊まらないんだから」
「どんなことがあるか分からんぞ。ダディとケンカしてプチ家出している可愛い子ちゃんの、人生相談の相手になるかもしれない。このおれが」
はいはい。
一日目。
着いたのは夜遅かったので、スーパーで食材とビールを買って、共有スペースのリビングで簡単な乾杯をした。
ビール1本1ユーロちょっと。
「でも、海外に来ると、色々なことに驚きますよね」
広末くんが感慨深く言う。「でも」というのは、海外なら砂吹の言う劇的な出会いがあるあもしれない、というところにかかるのか。
「三井さんは何に一番驚きました?」
何だろう、と考えてみる。
「自転車の、スタンド」
自転車のスタンド? と二人は顔を見合わせている。
「よく映画の中で、やんちゃな小学生たちが、気の弱い男の子をいじめるシーン、あるじゃない」
わたしの頭の中には、フォレストガンプのワンシーンが流れていた。二人も、それぞれのお気に入りの映画のシーンを思い描いている様子だ。
「いじめっ子が集団で男の子の前に現れて、彼らは乗っていた自転車をガシャンってその場に倒すの。無造作で荒っぽくて、タイヤがくるくる空回りしていて。いかにも強そうじゃない?」
うん、まあ、と気のない返事が返ってくるが、構わず続ける。
「これ、ずっと演出だと思ってたの。でもさ」
二人がこちらを見る。
「ないのよね、自転車のスタンドが、そもそも」
「ああ、え、そこ?」砂吹が目を丸くする。
「うん、分かる。こっちの自転車って、みんなスタンド付いてないよね」いつも広末くんはフォローしてくれる。
「別に何でも拾うのが優しさじゃないぞ。これ以上三井を付け上がらせるようだと、君をセッターと呼ぶぞ」
「セッターは拾う人じゃないから。トスを上げる人だから」それこそ拾ってしっかり訂正する。
「広末くんは? 外国来て、何に驚いた?」
彼は考えるように視線を外す。
「クラクション、ですかね」
「鳴らし過ぎだよね。挨拶代わりかってくらい」
「いや、僕が驚いたのは、本当に挨拶に使うんですよ。例えば、道端で知り合いが歩いているのに気が付くと、クラクションを鳴らして気付かせて、手を振ったりして。下手したら窓開けて、道の真ん中に停車して話し出しちゃったり」
「見覚えあるな。日本だと知り合い見つけても、こっちが車だったら通り過ぎるしかないもんな。あとで、あの時歩いてたの見たよ、って報告するのが精一杯だし」砂吹の言葉で、免許持ってるんだと初めて知る。
「あとは、体格も大きいからか、随分遠くの知り合いを見つけることができて、挨拶のタイミングが早い、早過ぎる」
「どういうこと?」
「この前、道を歩いてたら、よう、調子はどうだい? みたいな感じで手を上げて挨拶してきたんですよ。大柄の、黒人が。こっちって、気さくな人だったら、知らない人同士でも普通に挨拶するから。レジで前後の人とか。そうだと思って、こっちも挨拶返したら、彼は僕の後ろの知り合いに挨拶してたんですよ。恥ずかしいったらない」
あるあるだね、と笑う。
「でも異常に遠くの人ですよ。その距離感は、ないないです。挨拶が、あらかじめ過ぎる」
「きっとわざとやってるんだよ、広末くんに恥をかかせるために」
からかうように砂吹が言う。
「よし、復讐しよう」
砂吹がまた訳の分からないことを言い出した。
「どうやってですか」
「よお! って挨拶して、返してきたら、おまえじゃないんだよって顔で、その向こう側の人に、さも知り合いかのように話しかける」
「八つ当たりもいいところじゃない。その人は何も悪くないのに」
「それに、向こう側の人に、おまえなんか知らねえって言われた日には、それこそ立ち直れないですよ」広末くんは苦笑いをする。
共有のリビングでそんな話をしていると、他のグループの人たちも入ってくる。
どこから来たの? から始まり、世間話がはじまる。
「砂吹、しゃべりなよ、英語の練習」
「おまえ、ちょっと喋れるからって、覚えてろよ」
「プチ家出美女、探すんでしょ」
そうだった、と俄然やる気を出したようだ。
「こういう交流が、ドミトリーの醍醐味ですよね」
「うん、貧乏旅行ならでは。全部個室に泊まっちゃうと、味わえないよね」
砂吹が、辿々しい英語で必死に話している姿を見て、私たちは微笑ましく思う。
しかし彼が、本当に金髪美女がらみの事件に巻き込まれることを、
この時はまだ知らない。
次回、第30話。天国から一転、悪夢へ。
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