石垣島へ戻る。正月明けのこの時期
は静かだ。道ゆく現地の人はわざわ
ざ自転車からおりて「あんたたち、
どこから?」と話しかけてくれる。
作家志望、24歳、イギリス7ヶ月目 一時帰国中
「あんまり島ばっかり行ってると、石垣を観光できないあるある、ってのがありそう」
「ここも島だ」
「わかってるよ。離島とかもっと小さい島って意味」
とりあえず今日1日は石垣島に費やすことにした。
最初に泊まった宿には手書きの地図。
地元の手作りの地図がいちばん信用できる。
おすすめのご飯屋さんとかお土産屋さんが書かれている。
歴史のお勉強。730記念碑。
730とは7月30日を意味しています。
その日は、沖縄が本土に復帰して6年後の昭和53年(1978)7月30日で、俗に「ナナ・サン・マル」と呼ばれ、沖縄県下で一斉に交通方法の変更が行なわれました。
それまで沖縄県は米国統治の名残が残っており、「人は左、車は右」となっていましたが、その日を境に「人は右、車は左」となりました。
交通方法が変更される際には、前日の29日午後10時から変更当日の30日午前6時までの間、緊急自動車やバス、タクシーなどの指定車両を除くすべての車両が通行禁止および駐車禁止となり、
当日、午前6時を期して消防署のサイレンが鳴りひびくなか、白バイに誘導されたタクシーなどが、これまでの右側通行から一転して左側通行へと移行していきました。
沿道には、その歴史的瞬間を見ようと人垣ができたほか、変更直後からは、左側通行を初体験しようとするマイカーが繰り出し、思わぬラッシュもみせました。
また、心配されていた交通事故は、石垣市では平年並みで、沖縄県全体では、交通方法変更後、その年の年末までの事故は、むしろ減少したとの報告もあります。
「わかった! 交通事故が減ったってことは、毎年、車線の左右を入れ変えればいいんじゃない?」
「おまえは単純の極みだな」砂吹がため息をつく。
「人間はすぐ慣れてしまう生き物ですからね」
広末くんの言葉をきいて、星新一でそんな話あったな、と思った。
宣伝の時代 Youtubeより おもしろいのでWiFi環境でどうぞ。3分30秒。
遅い朝ごはんをBLUE CAFEで。
店内はこんな感じ。
朝は甘いものに限る。そう思いませんか。
これが有名らしい。(わたしは仕入れの数で判断するところがあります)
なので食べてみる。
ふつーにうまい。
絵が飾られてたり
広末くんのフレンチイトースト風のパン。
一口もらったけど、なんとわたしのより甘い。
「せっかく一時帰国してるのにわざわざそんなものを食うとは」
砂吹の一言にわたしたちは「たしかに」と思う一方で「ヨーロッパのパンはケーキはおいしくないから」と思い直す。
WiFiもあるし快適。
お昼と夜は何食べよう。
空腹を貯めておけたらいいのに。
ああ神様、ロンドンに戻ったら一日一食にしますから、どうか沖縄滞在中は一日7食たべさせてください。
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