一週間くらいでロンドンに戻る予定
だったのに、寒いからと理由で年越
しを石垣島でしようということにな
った。本島以外の上陸は3人とも初。
作家志望、24歳、イギリス7ヶ月目、一時帰国中
「たまにはゆっくりしようぜ」
いつもゆっくりしている砂吹が言った。
わたしたちは羽田へ。
年越しそばがソーキそば、というのもいいなと思った。
なんとなく、年末感。
飛行機の中で並んで座るわたしたち3人。
広末くんが空港で買ったアーモンドチョコのビニールを剥がしていて
わ、となったけど気がつかないふりをする。
「たとえば、この飛行機が落ちるとして」
そんなことを言いながらチョコをくれるもんだから、わたしは味がわからない。
「前提からすでに不吉だよ」
「もし、この飛行機が落ちるとして、ひゅーって落ちるまでの時間を、あなたは決められます。どれくらいがいいですか」
砂吹は「80年」と言った。
わたしはそんなに長い間こわい思いをするのも、飛行機の中で過ごすのも嫌だと思った。
「んー、1時間、かな」
海の上には、何もない。
身辺整理もできないし、電波もない。手紙を書いても残らない。
その中で、わたしが最後にしたいと思うことはなんだろう。
何をするにしても、1時間あれば終わる気がした。
「死を前にした人間は、死の五段階が訪れる、って話があるんですよ」
1, 否認。
飛行機が落ちてるのは気のせいです。ちょっと揺れただけです。
もしくは、飛行機に乗ってるのはわたしじゃない。
2, 怒り
どうしてわたしがこんなめに遭わなければならないのか。
誰にも文句のひとつも言わず、真面目に働いてきたのに。
死ぬなら同じ職場の問題児であるアイツであるべきだ。
3, 取り引き
全財産をあげるので、どうにかしてくれ。
パラシュートの道具を1000万で売ってくれ。
4. 抑うつ
自分の人生にいったいどんな意味があったのだろう、と振り返る。
死んだらどうなるのだろう、といよいよ考える。
5, 受容
自分の運命には逆らえず、怒りも抑うつも覚えない状態。
希望でも絶望でもない。
死のプロセスと十分な時間、まわりの助けがあった場合に最後に受容が訪れる、とも。
実はこの話、おもしろいのはここからで」
広末くんがチョコを砂吹にもあげながら言う。
「この死の五段階、キューブラー・ロスって人が提唱して
当時だけでも1万人を超える人々を救ったと言われてるんですけど
彼女は死に際に、自分の業績は時間と金の無駄だったと否定してるんですよ」
「キューブラ・ロスは晩年、自分は孤独であり、今は誰にも会いたくないと言っていた。夜になって泣き声の聞こえてくるコヨーテや鳥こそが自分の友人だと語っていた。
死んでいく自分を受容することは、実に難しい。それには「真実の愛」が必要だが、自分にはそれがない、と彼女は言う。
インタビュアーが、あなたは長い間精神分析を受けたので、それが役立っているだろうに、と問いかけると、精神分析は時間と金の無駄であった、とにべもない返事がかえってくる。
彼女の言葉は厳しい。自分の仕事、名声、たくさん届けられるファン・レター、そんなのは何の意味もない。
今何もできずにいる自分など一銭の価値もない、と言うのだ」
「なんだか、悲しいね」
砂吹は後ろの人に声もかけず、リクライニングを倒す。わたしが代わりにすみません、と言う。
「そんなの、動物園でライオン見たか、サファリでライオンに出会ったかの差だろ。実際に自分が死に際に立ってみなきゃ、何もわからないんだ。いつかライオンに噛み殺される人生なら、おれはジャングルを選ぶ」
「なんの話よ、そういう話じゃないのよ」
飛行機が落ちる時間を選べるなら。
わたしは、一瞬でいいかな。
「どうせ年取ったら思い出くらいしか生き甲斐ないんだ。
今は何も考えず仕事して、擦り切れるほどセックスして
人に出会って、話聞いて、旅行して、
老後が暇にならないくらいの思い出作っておけばいいんだよ」
砂吹がえらそうにまとめたので
「童貞のくせに?」とからかう。
適当なこと言っただけなのに、思いの外慌てて否定するもんだから、こっちが困った。
広末くんが真顔で「本当に童貞なんですか」と質問してて、わたしはまた笑う。
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