第59話「飛行機が落ちるとき。死を受け入れるまでの五段階の心理とは」

一週間くらいでロンドンに戻る予定
だったのに、寒いからと理由で年越
しを石垣島でしようということにな
った。本島以外の上陸は3人とも初。

 

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作家志望、24歳、イギリス7ヶ月目、一時帰国中

 

 

「たまにはゆっくりしようぜ」

いつもゆっくりしている砂吹が言った。

わたしたちは羽田へ。

年越しそばがソーキそば、というのもいいなと思った。

 

 

なんとなく、年末感。

飛行機の中で並んで座るわたしたち3人。

広末くんが空港で買ったアーモンドチョコのビニールを剥がしていて

わ、となったけど気がつかないふりをする。

 

 

「たとえば、この飛行機が落ちるとして」

そんなことを言いながらチョコをくれるもんだから、わたしは味がわからない。

「前提からすでに不吉だよ」

「もし、この飛行機が落ちるとして、ひゅーって落ちるまでの時間を、あなたは決められます。どれくらいがいいですか」

 

 

砂吹は「80年」と言った。

わたしはそんなに長い間こわい思いをするのも、飛行機の中で過ごすのも嫌だと思った。

「んー、1時間、かな」

 

 

海の上には、何もない。

身辺整理もできないし、電波もない。手紙を書いても残らない。

その中で、わたしが最後にしたいと思うことはなんだろう。

何をするにしても、1時間あれば終わる気がした。

 

 

「死を前にした人間は、死の五段階が訪れる、って話があるんですよ」

 

1, 否認。

飛行機が落ちてるのは気のせいです。ちょっと揺れただけです。

もしくは、飛行機に乗ってるのはわたしじゃない。

 

2, 怒り

どうしてわたしがこんなめに遭わなければならないのか。

誰にも文句のひとつも言わず、真面目に働いてきたのに。

死ぬなら同じ職場の問題児であるアイツであるべきだ。

 

3, 取り引き

全財産をあげるので、どうにかしてくれ。

パラシュートの道具を1000万で売ってくれ。

 

4. 抑うつ

自分の人生にいったいどんな意味があったのだろう、と振り返る。

死んだらどうなるのだろう、といよいよ考える。

 

5, 受容

自分の運命には逆らえず、怒りも抑うつも覚えない状態。

希望でも絶望でもない。

死のプロセスと十分な時間、まわりの助けがあった場合に最後に受容が訪れる、とも。

 

 

実はこの話、おもしろいのはここからで」

 

 

広末くんがチョコを砂吹にもあげながら言う。

「この死の五段階、キューブラー・ロスって人が提唱して

当時だけでも1万人を超える人々を救ったと言われてるんですけど

彼女は死に際に、自分の業績は時間と金の無駄だったと否定してるんですよ」

 

 

キューブラ・ロスは晩年、自分は孤独であり、今は誰にも会いたくないと言っていた。夜になって泣き声の聞こえてくるコヨーテや鳥こそが自分の友人だと語っていた。
死んでいく自分を受容することは、実に難しい。それには「真実の愛」が必要だが、自分にはそれがない、と彼女は言う。
インタビュアーが、あなたは長い間精神分析を受けたので、それが役立っているだろうに、と問いかけると、精神分析は時間と金の無駄であった、とにべもない返事がかえってくる。
彼女の言葉は厳しい。自分の仕事、名声、たくさん届けられるファン・レター、そんなのは何の意味もない。
今何もできずにいる自分など一銭の価値もない、と言うのだ

 

 

「なんだか、悲しいね」

砂吹は後ろの人に声もかけず、リクライニングを倒す。わたしが代わりにすみません、と言う。

「そんなの、動物園でライオン見たか、サファリでライオンに出会ったかの差だろ。実際に自分が死に際に立ってみなきゃ、何もわからないんだ。いつかライオンに噛み殺される人生なら、おれはジャングルを選ぶ」

「なんの話よ、そういう話じゃないのよ」

 

 

飛行機が落ちる時間を選べるなら。

わたしは、一瞬でいいかな。

 

 

「どうせ年取ったら思い出くらいしか生き甲斐ないんだ。

今は何も考えず仕事して、擦り切れるほどセックスして

人に出会って、話聞いて、旅行して、

老後が暇にならないくらいの思い出作っておけばいいんだよ」

 

 

砂吹がえらそうにまとめたので

「童貞のくせに?」とからかう。

適当なこと言っただけなのに、思いの外慌てて否定するもんだから、こっちが困った。

広末くんが真顔で「本当に童貞なんですか」と質問してて、わたしはまた笑う。

 

 

 

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