人に興味が持てない。それを解決
するために、砂吹くんについてきた。
パブで待っていたのは、ボサボサの
髪と無精髭の、ひきこもり男だった。
ヘアメイク、28歳、イギリス4ヶ月目
空が暗くなってくる。
砂吹くんに連れられてやってきた、駅から少し歩いたパブ。
そこで待っていたのは、深刻そうに頭を抱えて、「おぉ……」唸っている一人の男だった。
すでにパイントビールを半分以上空けている。
そのグラスの横には、怪しげな青い瓶が置かれている。
「見ろ。彼はいつも憂いている」
いったい何に?
男はゆっくりと顔を上げた。
「ああ、砂くんやっときた」
少し驚いた。髪は伸び放題かつボサボサで、無精髭も生えてはいたが、思ったよりも若そうだったからだ。
「君か、僕に会いたいという女の子は。はじめまして。言っておくが、決して憂いているわけではない。頭皮のマッサージをちょっとね」
パブで頭皮のマッサージ。いずれにしろ、風変わりな男だ。
「君、知っているか。人は、今悩んでいることを、一年後には悩んでいないらしい。去年の今頃の悩みを覚えているか?」
そう言われて、思いを巡らせる。
「たしかに、悩んでいませんね。まあ、去年の今頃何をしていたか、すぐには思い出せないと言った方が正しいかもしれませんけど」
「いずれも、思い出せないということは、大した悩みじゃなかったのさ」
はあ、と返事する。
「だがしかし! 私の悩みは一年後に忘れられるものじゃない。おそらく解決もしていない。更にひどくなっているかもしれない」
首を傾げると、彼は青い怪しげな瓶を目の前に差し出す。
「これだよこれ、ハゲ薬」
ハゲるための薬ではない、ハゲ対策の薬だと、彼は付け足した。言われなくとも分かる。彼は禿げるのが恐くて、四六時中マッサージをしているらしい。
「でも、まだ髪の毛いっぱいあるじゃないですか。むしろ、ちょっと切った方がいいですよ」
「今あっても1年後は分からないだろ!」
突然声を荒げたので、私は目を丸くする。
「父、二人の祖父、曾祖父まで全員、遺影の中でハゲている。遺伝的には100%なんだ。ハゲ始めてからでは遅いのだ」
「彼が、2年間をこれ以上ない程無駄に過ごしたワーホリ先輩だ」砂吹くんがそう紹介する。
「無駄に過ごすにはどうすればいいのか訊きたいんだろ? 変わった子もいるもんだ」
「いえ、私は別に」
人の話を聞かずに彼は話を続ける。そこは砂吹くんと似ている。
「そんなのは簡単だ。まずバイトを始めなさい。日本食レストランなんて、ハードルが低くていいだろう。
接客では英語が必要だが、スタッフは日本人も多かろう。分からないことは日本語で訊けばいい。
週5日、朝から晩まで働いて家を往復する。そして気が付くだろう。
ロンドンにいても、六本木のちょっと外国人客が多いレストランで働くのと、変わらない、と」
間髪いれずに、先輩は話を続ける。
「なんならね僕はね、平日朝から晩まで働き土日に出不精な人間と、ひきこもりは、あんまり変わらないと思っている。世間に触れている時間、という意味では。
アルバイトごときで世の中に貢献してるつもりかもしれないが、人生の充実度はほぼ同じだ。
ひきこもりだから親が注意する。フリーターでも、一応働いているから誰も注意しない。どちらが危ないかは一目瞭然だろう。
「皆来る前はこう思っているはずだ。海外には、とんでもないことが待ち受けていると。
そして来てから半年後に気が付くはずだ。生活するだけなら、そんなに英語が必要ないこと。
だいたい日本と同じさ。自分から求めなければ、友達も遊びも事件も起きやしない。
インターホンを押して羊男が現れるようなことは、世界のどこに行ってもない」
砂吹くんがそこで胸を張り、誇らしげに説明する。
「先輩のすごいところは、半年でそのことに気が付いたにも関わらず、2年間無駄にしたことさ」
「いったい、何やってたんですか」
「だいたい家でYoutube。名探偵コナン見てた。親に心配されないフリーターより、心配されるひきこもりでいようと思って」
私は悟られないように細く長く溜め息を吐く。
彼から学ぶことなど、何もない気がする。
せっかくここまで来たのに。
「いいかミムラ」
いきなり呼び捨てにされたので、なんだい砂吹、と私も言ってみる。
「人を見た目で判断してはいけない。ワーホリ先輩は、今のところどうしようもないクズにしか見えないだろうが、見間違い、聞き間違いってのは、人生の中でたくさん起きる」
見間違いはともかく、聞き間違い? 全然意味が分からない。
だけど、せっかく時間を割いて来たので、一応質問してみる。
「私、人に興味が持てないんです。病的に。どうしたらいいですか」
すると先輩は、少し真面目な顔つきになった。
「人に興味がある人なんて、基本的にいない」
え、と思わず口にする。
「みんな、興味のあるフリをしているのさ。君の悩みはどうせ、人と話が続かないとか、楽しくないといったものだろう」
当たっている。
「だとしたら、君に足りないものは簡単だ」
ワーホリ先輩は、指をたてた。
「それは、知識だ」
オハナシハツヅク
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