Short Film 4
「現代版・ブレーメンの音楽隊」
出鼻をくじかれると、嫌になる。
たぶん、不器用ではない。むしろ器用な方だ。
クラスでも、初めてやることは人よりうまくできたし、
努力をすれば、やっただけの結果は自然とついてきていた。
だからこそ、初めて石につまづいて転んだとき、僕は起き上がり方を知らなかった。
転び慣れた人なら、起き上がって、傷の手当をし、また歩き出すだけだろう。
しかし僕は、人生の終わりかのように感じてしまった。
大学受験に失敗した時のことだった。
「犬井……まさか、おまえが」
周りにそう言われるのが、一番辛かった。
「頑張ってたのにな」という言葉の裏には、「あれだけ勉強していたのに、なんで落ちるんだ」という声が聞こえてくるようだった。
すぐさま「来年頑張ろう」と切り替えられる浪人組が楽観的に思えて、勉強する気にはとてもなれなかった。
もちろん、進学をやめて働くなんて選択もできるはずがない。
何もしたくなくて、数日眠り続けた。
人間はこんなにも眠れるものなのか、というほどに毎日寝た。
1ヶ月が過ぎた頃、「あれ、これは、俗に言う引きこもりになってしまったんではないか」とふと思った。
ベッドから起き上がると、腰が痛い。宇宙飛行士が地球に帰ってきたらこんな感じなのではないだろうかと思うほど、何をするにも筋肉が疲れる。
何もしなくても、腹はへる。
お菓子を食べても、ゲームをしても、気分は晴れない。サワーを飲んでみても、美味しくない。
インターネットで検索でもしてみようか。
世の中の困ったことはだいたいそこに書いてある。
僕よりずっと前に、誰かが同じことで困っていて、解決して、その解決方法が記されている。
それを読めば、簡単に立ち上がれるのかもしれない。
だが、できればそれはしたくなかった。
答えはきっと、部屋の中にはない。
そう思って、久しぶりに外へ出掛けることにした。
電車で数駅。横浜駅にきて、あてもなく彷徨った。
柄の悪いストリートロッカーが、騒音としか思えない、品のない音を出している。
目を合わさないように通り過ぎようとした時だ。ベースギターをさげたボーカルらしき男が近付いてきた。
「おい、てめえ。耳、あんだろ。聞いてたんなら、金、入れてけ」
金髪を、鳥のように鋭く立たせたモヒカン男が顔を近付けて言った。
「こんな騒音に、アルミ1枚分の価値もあると思えないんですけど」
「お金って何でしたっけ。僕、記憶喪失になってしまったようで」
「あなたは音楽を通じて宇宙の真理に触れているのですね。一緒に入信しましょう」
この場を切り抜けるためのいくつか回答を考えてから、最後に僕の口から発せられた言葉は意外なものだった。
「じゃあ、五千円あげるから、一曲歌わせてくれない?」
ほとんど所持金の全てであることを示すために、財布を開けて見せる。
鳥のようなモヒカン男は、他のメンバーから実際に「鳥居」と呼ばれていて、驚く。
仲間内で何の相談があったのかは知らないが、金髪モヒカン男鳥居は、僕の手から五千円をひったくった。
「歌うって、何をだよ」訝るように訊いてくる。
たしかに、彼らの持ち歌と、僕の知ってる曲に共通点があるとも思えない。
Jpopしか知らない僕が、唯一知っている洋楽といえば……
「Green Day、弾ける? Minority」
ドラムの、ロバのような顔の男が「いいじゃん。懐かしいな。学生時代ぶりだ」と言った。
「良いだろ、猫村」とロバが訊ねると、猫村と思われるギターの男が、無言でペダルのようなものを踏む。
今までとはまったく異なった綺麗な音を、ジャラーンと鳴らした。
友達とカラオケに行ったこともなかった。
音楽の成績だけはいつも3で、自分の歌がヘタクソなこともよく分かってた。
Green Day は、簡単な英単語から構成され、かつ素晴らしい歌だからと、ハゲた英語の先生が授業で流した曲だった。
ずり落ちたメガネの直し方が独特で、みんな真似していた。
「ハゲがロックを語るな」とクラスのヤンチャ担当が言うと、
「そんなこと言わないで励ましておくれよ」と得意のダジャレで返し、笑いを取っていた。
「やっぱりダメだ、ハゲ増しちゃうから」と続け、
「もう一本もないじゃないですか」と今度は女子から冷静な指摘を受ける。よく笑う先生だった。
僕は歌った。
ただただ人が通り過ぎるだけの、横浜の汚い路上で。
大きな声で歌うというのは、意外に気持ちが良かった。
ビルの隙間から見える狭い空が、いつもより青く感じる。
途中で気が付いたのは、彼らは上手に演奏することもできるということだった。
ピカソが普通にうまい絵も描けるみたいに。
ピカソの絵が僕には理解できないように、
彼らの音楽もまた、見る人が見れば素晴らしいものなのかもしれない。
ドラマとかだと、
このあと何故かどんどん人が集まってきて、感極まった人々が歓声を上げ、最後にたくさんの投げ銭がギターケースに投げ込まれるのだろうけれど、
これは現実だからそんなことはもちろん起きなくて、
彼らの熱狂的なファンと見られる2,3人の女性たちが、乾いた拍手をするだけだった。
それでも、僕の気持ちは晴れやかだった。
高校の文化祭のあの日。
いつもは校長先生が話をするあの体育館の壇上で、こんな風に歌った軽音部の人たちは、さぞ気持ちが良かったんだろうな、と思った。
音楽を諦められない人たちの思いとかが、理解できる気がする。
いや、きっと彼らからしたら、僕なんかに分かられたくはないんだろうけど。
金髪のボーカルが、コーヒー4つ買って来い、と僕の渡した五千円をよこした。
4つ、と思い、その時ふと我に返った。
今まで接したことのないこわい人たちと、いったい何をやってるんだ、と急に現実に引き戻された。
パニックになりかけたのを悟られないようにしたくて、「ブラック? 無糖?」と無表情で訊ねた。金髪モヒカンの鳥居は「じゃあ2つずつ」と笑いながら言った。
コーヒーを全員に手渡した後、彼らの看板を見て訊ねた。
「なんでこのバンド、ブレーメンっていうんですか」
ベースボーカルの鳥居、ギターの猫村、そしてドラムのロバのような顔の男。
なんとなく分かる気もしたが、体裁上訊ねる。
「忘れちまったよ。10年も前からのバンドだ」
「今何歳ですか」
「27歳」
僕は、良い年して、とは思わなかった。
逆に、17歳の時にやりたいことを見つけて、それを10年続けてきたことが、偉業のように感じられる。
「おまえ、ブレーメンの音楽隊って、知ってる」
「名前は知ってますけど、どういう話だったかと言われると」
説明してやるよ、と男は路上に胡座をかいた。
「年とった動物、ロバ、イヌ、ネコと、あとメンドリがな、飼い主に殺されそうになるんだ。それなら逃げた方がマシだと旅を始めて、ブレーメンへ行って音楽隊に入れてもらおうとする話だ。最後は、どうなると思う?」
児童文学ならどうあるべきか、と考えながら答えた。
「様々な苦難を乗り越え、見事ブレーメンへ辿り着き、音楽隊として成功する、とかですか」
金髪は意味ありげにかぶりをふる。
「やつら、ブレーメンにも着かないし、音楽なんて一度も演奏もしないで終わる。向かう途中で発見した、泥棒集団から家を奪って、ご馳走にありつき、そこの居心地が良過ぎて、そこでずっと暮らすんだ」
「え、あの有名な、動物4匹がおんぶをするシーンはどこですか」
「宴会をしていた泥棒たちを、家から追い出す時だよ。驚かせるためにな」
金髪男、鳥居は得意げに言った。
「これは、泥棒をすると痛い目に遭うって話じゃないぜ。たとえ思い描いていた未来とは違っても、今いるそこの居心地がよかったら、それが一番なんじゃねえか、って話だ。おれ達は、プロになろうと思って結成した。それがどれだけ狭き門かということが分かってきたのが、最近だ。だけど、こうやってみんなで演奏してる今も、悪くない。それもいいな、と思い始めたんだ。ブレーメンに行けなくても、音楽隊になれなくても」
金髪モヒカンは、飛べない鳥のように狭い空を見上げる。
「そんなことを、知らずうちに意識して決めたのかもな、このバンド名は」
その時、ドラムのロバ男が「バーカ、おまえ何かっこつけてんだよ」とコーヒーを片手に、反対の手でモヒカンの頭を叩こうとして、やめた。
「こいつの髪、刺さると怪我するからな」
そう言って、僕の反対側に腰掛けた。
「高校の時だ。ある英語の教師が、おれたちのことをそう呼び始めたのがきっかけだったよ。口のきき方を知らない、校則を完全無視してた俺達を、『夜露死苦』的なノリでな」
「あのハゲ、言ってたよな。よく聞けこれは只のダジャレじゃないぞ。無礼な三人組で『無礼men』 ちゃんと複数系になっておる、ってな」
もしかして、メガネがずり落ちてるハゲですか、と聞こうと思ってやめた。
日が沈み始めて、家に帰ろうと思った。
また頑張れるかは分からないけれど、今自分のいる場所の居心地は、たぶん良くない。
ということは、ここではないどこかへ行かなければならない。ブレーメンへ辿り着くか、音楽隊になるような、ここではないどこかへ。
僕はひとりひとりに挨拶をした。
猫村さんは最後まで口をきいてくれなかった。
金髪モヒカンが手を差し出したので、僕らは握手した。
「おまえ、名前は」
「犬井」
モヒカン鳥居が、「揃ったじゃねえか、バンドやろうぜ」と嬉しそうにした。
僕は、きっぱりと断った。「勉強します。大学、受けるんで」
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