Short Film 2 「どこでもドアと、だれでもドア」

 

2112年のドラえもんの誕生予定からは100年が経ってしまったが、2212年、どこでもドアが開発された。  

世紀の大発明といっても過言ではないこのドアの売れ行きがイマイチなのは、 高価だということもあるが、その仕組み自体が未だ大衆に受け入れられないからだと、企業上層部は判断した。  

そこで、開発責任者のD博士に白羽の矢が立ち、どこでもドアの説明会が開催されることになった。  

会場には、千人にのぼる観客とマスコミ関係者が集まった。

 

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Short Film 2 「どこでもドアと、だれでもドア」

 

 

大きな会場の割に、入り口には小さなドアが一つあるだけだ。  

セキュリティの問題なのだろうが、時間がかかって仕方がない。  

記者のF氏は、列に並んでいる間に、配られた事前アンケートを書いていた。

「あなたの悩みは何ですか」  

 

 

なぜそんなことを書かなきゃならないのかと思いながらも、L氏は馬鹿正直に答える。

「もう少し素直な人間になりたい」        

漠然とした回答だったが、その真意ははっきりしていた。  

 

 

元々はもう少しまっすぐな人間だったはずなのだ。

仕事の関係上、疑り深い性格になってしまったようだ。  

付き合って3年になる彼女の携帯を、ある日、盗み見てしまった。  

それで喧嘩になってから、もう1ヶ月も連絡をとっていない。        

 

 

考えてみれば、浮気などする女じゃない。

暗証ロックもかけない女だ。  

どう考えても自分が悪い。  

でも、未だに謝れないでいる。  

 

 

仕事が忙しいので、こちらはあっというまの1ヶ月だったが、向こうは普通のOLだ。

それこそ愛想を尽かして、今頃ほかの男に走っているかもしれない。        

また、マスコミ関係は誰よりも時間に迫られている。  

事件が起きた時に、現場にいち早く駆けつけなければならない。  

 

 

どこでもドアがあれば、まちがいなくスクープにありつけ、他社を圧倒できる。  

だからこそ、そのドアの安全性をしっかりこの目で見ておきたかった。        

 

 

説明会が始まった。F氏は真っ先に手を上げた。  

「D博士、この度のどこでもドアの仕組みを、具体的な例を挙げてもう一度お願いします」  

「うむ。たとえば君は、どこに行きたい?」  

突然の質問返しに、F氏は少し考える。  

 

 

「では、ハワイに。長いこと長期休暇を取っていないので」        

「それでは、日本の今ここにあるどこでもドアをA、ハワイにあるどこでもドアをBとしよう。ドアをくぐり抜ける時、君の体の情報は、分子レベルでスキャンされる。そしてそのデータは、ハワイに送られることになる。今、ドアを通るその瞬間と同じ君が、ハワイで生成される。そういう仕組みだ」  

「と、言いますと、厳密にはちがう自分がハワイに行く、ということでしょうか」  

「いや、君だよ。肉体的にも心理的にも、同じ君だ。体も脳も記憶も、すべてコピーされる」  

 

 

「それでは、日本にいる僕はどうなるのでしょうか」        

「消滅することになる。その手法は、倫理観のために企業秘密だ」   男は寒気がした。  

「それは、死ぬということですよね」  

「ちがう、ただの消滅だ。同じ瞬間に、君はハワイに、たしかにいるのだから」      

 

 

ただの消滅、という言葉に、優秀がゆえに冷たい人間によくあるそれを感じる。医者が、ただのインフルエンザですね、はい次、というような。  

「でも、それは僕じゃない」  

食い下がるF氏に、D博士はひとつ咳払いをした。  

「僕じゃない、と思っているのは『今の君』だけなんだ。ハワイで生成された君は、自分を僕だと思っている。日本に帰って来てからもそうだ。君の顔、君の体、君の性格をした君は、自分のことを僕だと思っている。会社のみんなも友達も、君を見たら、君だと思う。その頃すでに、僕じゃない、と思っていた君は、もうこの世にいないんだ」        

 

 

F氏はおぞましく感じながらも、質問を続けた。  

「消滅するということは、当然痛みなどを伴うんですよね。だから御社は秘密にしている」  

「仮に痛みがあったとしても、ハワイで生成される君は痛みを覚えていない。したがって、痛みはない」        

D博士は、皆を見回して言った。  

 

 

「というわけで、この商品は何ら、恐いことなど無いのです。みなさん、今すぐハワイに行きたい方はいませんか。本日限り、無料でお試し頂けます。ただし、帰りは実費になりますので」  

D博士は笑いが起きるかと思ったのだろうが、皆まじめな顔つきで、行き先、もしくは使用すべきか否かを思案している様子だ。        

結局、千人を越える来場者の中で、手を上げたのはたったの3人だけだった。  

それも、最寄りの駅、会社、自宅と、つまらない場所ばかり。   他の客はといえば、心配と好奇のないまぜになった表情で見守っている。  

 

 

一人ずつ、ドアの向こうに消えていった。        

D博士は両手を広げ、仰々しく言った。  

「日々の移動時間を削減できた時、間違いなく生活に余裕が生まれます。そしてその余裕は、きっと新たな自分を発見できるでしょう。なりたい自分へ、最初の一歩を踏み出せないそこのあなた。そんな人々の背中を押してあげることが、私の喜びなのです」        

 

 

−−−−−−       

 

 

「ご来場ありがとうございました。3Dヘッドセットを回収致します」  

女性スタッフの声が飛び交う。  

D博士は、出口の近くで来場者に声をかけていた。  

「いかがでしたかな。最新AR、拡張現実の世界は」        

 

 

F氏は青い顔をしていた。  

「リアルすぎて、恐ろしかったです。確認させてください、今は、西暦何年ですか」  

「ちゃんと2019年ですよ」  

F氏はほっとした様子だった。        

 

 

「そう遠くない未来、どこへでも一瞬で行けるのは魅力的ですが、いくら同じ肉体、同じ心理を持つ人間だとしても、なんだか気味が悪いです」  

「果たして本当にそうですかな」  

「どういうことです」  

F氏は、博士の顔を見る。        

 

 

「三つ子の魂、百までなんて、人間は簡単に変われないものだと考えている人が多い。しかし、実は逆なんです。変わらない方が難しい。たとえば、今はもうお昼時だから、あなたはきっとランチを食べるでしょう。そうだ、ナポリタンがいい。オススメの店があります。ナポリタンを食べる前のあなたと、食べた後のあなた。今日の分子構造の話に基づくと、完全に別人のなのです」  

F氏は訝るような表情をしたが、博士は構わず続けた。  

「今日、そこの小さなドアを開けて来場してきたあなた。出る時は、まったくちがうあなただ。何故か。それは、AR体験を通して、何かしらインスパイアされたあなただからだ。どこでもドアを恐れる必要なんかない。逆に、移動できないだけで、このドアを開けた瞬間から、あなたとはちがうあなた −− どんなあなたにでも、なれる」  

「どんな僕に、でも?」        

 

 

D博士は、にやりと意味深な笑みをもらした。  

「そうそう、実はこの扉にも分子スキャン装置がついてましてね。実は、どこでもドアは既に開発され、試験段階に入っているんです。今日ここに入ってくる時に、あなたの分子データを読み取り、コピーしてあるんです。アンケートのご要望の通り、少し素直になる要素を加えた人間にして、世に放つ準備がしてあります」  

「え、どういうことですか」  

「だって書いたでしょう、アンケートに。素直になりたいと」  

 

 

「書きました。でも、その新しい僕の代わりに、今の僕はどうなるんですか」  

「先程ご説明した通り、厳密に言えば、あなたの体はこのドアを通過するのと同時に消滅します。同じ分子構造、心理、記憶を持ち、かつあなたの要望にあった素直さを加えた、新しいあなたが生成されます」  

「そんなこと、いきなり言われても、はあそうですかと通れるわけが」  

「安心してください。死ぬわけじゃないんです。痛みもありません。痛みがあったとしても、ドアを通り抜けたあなたは、痛みを覚えていません」  

 

 

「そんな、無理です。恐いです」  

「大丈夫。これはお正月の初詣と似ています。今年はこんな年にしたいと願を懸けるでしょう。新たな野望を胸に、決意をしながら普通のドアをくぐり抜ける、そうお考えください。これはいわば、どこでもドアではなく、だれでもドア。どこへも行けない代わりに、あなたは、どんな自分にもなれるんです」        

D博士はそっと男の背後に立った。  

「それに、言ったでしょ。あなたみたいな人の背中を押してあげることが、私の喜びだと」  

 

 

D博士は、嫌がるF氏の背中を強く押した。            

 

 

−−−−−−           

 

 

急に差し込む日の光が眩しくて、F氏は目を細めた。  

ドアを通る前の自分が、恐くてたまらなかったのは覚えている。  

しかし、痛みは皆無だった。  

なぜあれほど恐れていたのか、今は理解ができない。        

 

 

たしかに、さっきと同じ僕だ。  

いや、厳密に言えば、どこでもドアの仕組み、近未来の希望と不安を知った僕がいた。  

恐怖で忘れていた空腹が、突然襲ってくる。  

博士が教えてくれたナポリタンの店は、彼女の職場のそばだった。        

 

 

彼女の昼休みまで、あと20分。

どこでもドアはないけれど、走ればなんとか間に合いそうだ。  

空を見上げる。  

謝らなくちゃ。   その割に、足取りは軽かった。

 

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−−−−−−           

 

 

「D博士、おもしろいことをおっしゃるのですね」  

近くでヘッドセットを回収していた女性スタッフが、話しかけてきた。  

「何のことだい」  

女性スタッフは笑った。        

 

 

「だってこれ、ただのドアなのに」  

D博士は、訳知り顔で笑う。  

「言ったろ。人の背中を押せれば、何でもいいんだ」

博士はだたのドアをさすりながら言う。  

 

 

「科学なんて、もしかしたら、いらないのかもしれない。僕らは、きっかけさえあれば、いつだって、何にでもなれるんだ」    

 

 
 
 
 
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